中村メイコさんは現在90歳間近のご高齢でおられますが、年齢を感じさせない
お姿がお茶の間の人々に元気を与えてくれていますよね。
今回の記事では、中村メイコさんの若い頃ってどんな人生を送られてきたのか
気になったので調べてみました。
中村メイコさんの魅力も若い頃の人生が今の中村メイコを作り上げているんだな
と感じさせられることが多かったのでぜひ、ご覧ください。
中村メイコのプロフィール
本名 | 神津五月(こうづさつき) |
生年月日 | 1934年5月13日 |
職業 | 女優 歌手 タレント |
活動期間 | 1937年〜現在 |
若くして中村メイコは才能を発揮
作家の中村正常の長女として生まれ、わずか2歳で映画デビューを果たしていたのです。
2歳なのでもちろん上手く話せるわけではなかったはずですが、父親の正常さん
が読み聞かせた童話をすぐに暗誦したそうです。
その様子を見たヤマカジ監督が「フクちゃん役はこの子しかいない」と
正常さんを説得して映画デビューを果たしたみたいです。
まさに生まれながらに女優だと感じさせられる話ですね。
若い頃の中村メイコもアルバイトをしていた
メイコが16歳の時に”アルバイト”という言葉が流行ったそうです。
その言葉に魅了されたメイコも父にアルバイトをしてみたいと懇願した
そうです。
すると、父は『週に3日ぐらいでラジオの仕事の合間にやりなさい』と
言って雑誌社を紹介してくれました。
なんと、そこで出会ったのが作家の吉行淳之介さんだったのです。
吉行さんは当時26歳で編集長格でした。
そんな彼にメイコは一目惚れをしてしまいました。
やがて、二人はデートするような仲になったそうですが残念ながら
吉行さんは既に結婚しておりメイコの思いは届くことはありませんでした。
ちなみに、その時のデートの様子を吉行さんは自身の小説「水の畔り」
に描写しているそうです。
若くして中村メイコは歌手デビューも果たしている
1955年メイコ20歳の時に「雑木林に月が出た」で歌手デビューを果たす。
そして、2枚目のシングル「田舎のバス」がヒットしました。
この曲には「皆様、毎度ご乗車くださいまして、ありがとうございます」と
標準語のバスガイドが途中から「アンレマしょうがねー。牛だなー」と
訛ってしまうというところがあります。
これは実はメイコさんの提案から生まれた演出だそうです。
メイコさんが1ヶ月ほど名古屋に公演のため訪れていたところ
次は3階に参ります。
最初は標準語で話していたが友人が乗ってくると
あんた、何ぎゃい(階)、行くの?
4ぎゃい(階)だがね
このやりとりが終わった後は何事も無かったかのように標準語に戻り
エレベーターガールは案内を始めたそうです。
このことがメイコさんにとっては面白かったらしく何回もエレベーターを
行ったり来たりしたみたいです。
そのことを後日、作詞家の三木鶏郎さんに話すと「面白いね」と言ってくれて
制作に取り掛かってくれました。
結局、エレベーターからバスに変わってしまいましたが
メイコさんの提案によって生まれた曲は見事、大ヒット曲になりました。
若くして結婚していた中村メイコ
1957年メイコ23歳の時に結婚しました。
相手は作曲家の神津義行さんです。
神津さんは1956年の映画「奥様は大学生」の曲を作曲していて、メイコさんは
この映画に出演しています。
恐らくこの時に出会い意気投合して結婚に至ったのではないでしょうか。
まとめ
中村メイコさんは若い時からマルチに活躍する才能を備えており、
運も実力もあったことから芸能界を盛り上げる役割を
任されていたのでしょう。
若い頃だけでなく歳を重ねてからも、常に好奇心旺盛な彼女らしく
魅力を増して人々を引きつけ続けているのは言うまでもない事実ですよね。
今後も活躍し続けてくれることを応援していきましょう。
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